日本人とカントリーミュージック

戦後日本の米軍キャンプを中心にカントリーミュージックが聞かれるなり、米軍向けFEN放送に乗って日本人の間でもカントリーミュージックを 耳にすることができるようになった。 そのころから、日本人のカントリーファン、カントリーバンドが生まれる。 その後、カントリーミュージクは日本中の大学生にもてはやされ、カレッジ・ミュージックのジャンルとして定着する一方、演奏される場としては、 ホールなどでのジャズコンサート、ダンスホールでのバックミュージック、 その他、ロカビリーやアメリカンポップスとともに、 一時期大流行したジャズ 喫茶などで多く演奏されていた。
   
BEAU YATANIの挑戦

オーナーの BEAU YATANI
(ボー・ヤタニ)は、高校時代16才からすでにカントリーバンドに参加して、 大学は京都の同志社大学に入学と同時に同大学の軽音楽部のカントリーバンド、マジカルプレーボーイズに参加活動した。 そこでBEAU は考えた。カントリーバンドがこれほど多数活動しているのに、
カントリーを最もカントリーらしく演奏し、 楽しめるホンキートンク(カントリーミュージックバー、クラブ)が日本にどうして存在しないのか!
 
 
ホンキートンクのオープン

BEAU はまず、
日本に本格的なカントリーミュージッククラブ、ホンキートンクを自ら作るという目的に 向かい、 学生時代からその準備を始め、ついに1970年京都の宝ヶ 池乗馬クラブの中という最高のロケーションの中にホンキートンクをオープンした。 その後、BEAU は1972年本場の HONKYTONK を学ぶために渡米。その2年後、1974年には、ギターを片手にテネシー、ルイジアナ、テキサス、ニューメキシコ、ネバダ、アリゾナ、 カリフォルニアなどの有名カントリークラブを歌って回り、本場と同じレベルの HONKYTONK を実現した。
また、彼の歌、ステージングもアメリカのメジャーレベルをモットーに 現在活動をしている。